小美玉市の歴史
平成18年3月27日に「小川町」「美野里町」「玉里村」が合併し誕生し、それぞれの頭文字を一字ずつ取り「小美玉」と命名されました。
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- 復旧門
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「小河城」の城下町でもあった旧小川町は、江戸時代に「利根川-霞ヶ浦」水運の拠点、商人の街として栄えました。今でも古い街並みが残り、往時の隆盛を感じることができます。
また、医学も盛んであり、「稽医館」という医学研究所があったと伝えられています。
旧美野里町は、竹原宿や堅倉宿などが水戸街道の宿場町として賑わい、立派な門構えの旧家がたくさんあります。名主であった旧家は天狗党の乱で焼かれてしまいましたが、焼け残った「復旧門」は、乱の過酷さを今に伝えています。
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- 権現山古墳
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古代から有力者が住んでいたとされる旧玉里村には、数多くの古墳が発見されています。その後も水運の拠点として栄えつづけ、江戸時代には水戸藩直轄の漁業地にもなっています。
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- 茨城空港
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それら歴史の古い町村が合併した小美玉市ですが、平成22年に茨城空港が開港したり、四季文化館みの~れが「市民参画型のホール運営事業」を行うなど、新しい試みにもチャレンジしています。
「人が輝く 水と緑の交流都市」の実現をめざし、行政と民間が一体となり、まちづくりを進めています。
- 産業まつり(H26空のえき「そ・ら・ら」)